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2009年10月04日

和光大学の竈


 チヤンプールの前史・・・追々語って行きましょう。こんなこと考えるのは、歳をとった証拠かな・・・・。


 私の通った和光大学に竈ができたのは、29年前のこととなる。出来た、のではなく、私たちが作ったのだ。
 今や大学の案内にまで登場し、公認施設のようになっているようなので、隔世の感がある。


 和光に入学して出会ったのがT。同年齢のはずだが、浪人生の私より1年前に入学しており、生協を考える会、というゆるやかな団体を組織していた。そこで、森永ヒ素ミルクや、三里塚についての知識を得た。

 1年後、サークルとして生活研究会を立ち上げた。三里塚のワンパック野菜を共同購入し、大学の構内で販売したり、石けんを静岡大学の大木平八郎さんのグループから仕入れ、販売したり、大学生協の総代として、合成洗剤や森永製品を販売する生協に対して、アンチを唱えたりしていた。

 そんな中で、生活研の周囲にいた女性陣が、ホーチミン広場と自然発生的に名付けられた中庭に竈を作って飯を作ろうというアイディアを生み出した。中心となったのは、Nやこねこ、おおねこ、桃ちゃん、ミウラ、ケメたち・・・それを応援するような形で生活研も関わっていく。

 竈のレンガは、建材屋から配達してもらい、地ならしをして竈作り。蓋は、第一号はどうやって作ったのか覚えていないが、芸術学科からグラインダーを借りて来て、鉄筋を切り補強してコンクリートで作ったと思う。  

 バイタリティにあふれる女性陣は、カッパ橋まで、大鍋を買いに行き、よくこんな鍋を電車で運んだなあ、と驚いたものだ。大鍋、ツボ鍋という種類だったと思う、の蓋は、大きな声では言えないが、大学の長椅子をのこぎりで切断して作った。


 どこかに竈開きの写真があったと思うがみつからない・・・  最初の竈がこれ。
kamado2.JPG
 左にいるのがこねこ、右が私・・・
 後ろの配管に引っ掛けてあるのがイスで作った鍋の蓋。

 作るのはいつも少人数。食べる時は50人くらい集まったかな。
 撤去粉砕、とあるのは、この中庭の下がボイラー室になっていて、防水工事が必要だから撤去すると大学から通告されていたから。

 実際、この後、竈は粉々に壊されて防水工事が始まった。

 工事終了後、早速竈再建を果たす。
 今度は設計図を書き、レンガの数を正確に計算し、当時乗っていたホンダのシビックの後部座席満載のレンガを購入してきた。初代の竈には無かった煙突も、大ゴミで拾った風呂の煙突を利用できるようにこちらも新しくした蓋の部分に丸い穴を用意した。
 ただ計算違いがあった・・・最初のレンガより、後から購入したレンガは、少し大きかった。だから2代目の竈は、1代目より一回り大きなものになった。


 竈では、週一回のペースでお昼を作った。ご飯、みそ汁、カレー、炒め物・・・生活研のメンバー、今は亡きAの実家から送ってきた松茸で松茸ご飯なんてのもあった。

 時には、芸術学科の講師だったのかなあ、在日アフガニスタン人の指導で、アフガニスタン料理に挑戦したこともあった。カバブーは、どこからか拾ってきたのか、はがして来たのかU字溝を利用して焼いた。愉しかったなあ。


 貧乏学生ばかりだったから、お米はいつも犬飯と呼ばれていた徳用上米ばかりだったが、薪火で炊くと、ものすごくおいしかった。中にはうるさい奴がいて、自分では手を出さないくせに、松の薪で炊く飯が一番おいしいんですよ・・なんて、ついつい横やりを入れたくなるほど、楽しいイベントだった。

 その薪だが、大概は、放置されたタテカンの垂木。ベニヤ4枚を貼り付けたタテカンを壊して垂木を燃料にしたのだか、結構な量の材木が取れたものだ。


 竈の約束。
 カンパを支払うこと。
 食器は自分で洗うこと。
 食器洗いには合成洗剤ではなく石けんを使うこと。


 作るのは、竈の会、そして生活研、そしてフォー連の連中。食べるのは、不特定多数。
kamado04.JPG
 左 タルさん。右 ター坊。ター坊得意の大根カレーを作っている様子だと思う。

kamado5.JPG
 生活研部室内での下ごしらえの様子。  左 こねこ 中央 おおねこ 右 桃ちゃん

kamado01.bmp
 就職の面接後、竈に直行。
 左 亡き妻 コネコ 19歳、かわいかったなあ。お腹には馨がいた。右 私ことCAN  この時以来、竈には行っていないと思う。

kamado02.JPG
 竈の前で記念撮影。
 左 キャッチャー 赤ん坊 馨 中央 和光インテリア 岩本 右 おおねこ。撮影は こねこだと思う。

 kamado6.JPG

 これは何度目かのアフガニスタン料理の夕べのスナップのはず。26年前の写真だろう。
 左 桃ちゃん 中央 おおねこ 左 こねこ と馨。



 こんなことが、今のチャンプールのルーツにある。

関連記事。相模経済新聞 http://www.sokeinp.com/2008/0915/

posted by チャンプール at 23:11| Comment(1) | チャンプール前史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月04日

和光大学の竈


 チヤンプールの前史・・・追々語って行きましょう。こんなこと考えるのは、歳をとった証拠かな・・・・。


 私の通った和光大学に竈ができたのは、29年前のこととなる。出来た、のではなく、私たちが作ったのだ。
 今や大学の案内にまで登場し、公認施設のようになっているようなので、隔世の感がある。


 和光に入学して出会ったのがT。同年齢のはずだが、浪人生の私より1年前に入学しており、生協を考える会、というゆるやかな団体を組織していた。そこで、森永ヒ素ミルクや、三里塚についての知識を得た。

 1年後、サークルとして生活研究会を立ち上げた。三里塚のワンパック野菜を共同購入し、大学の構内で販売したり、石けんを静岡大学の大木平八郎さんのグループから仕入れ、販売したり、大学生協の総代として、合成洗剤や森永製品を販売する生協に対して、アンチを唱えたりしていた。

 そんな中で、生活研の周囲にいた女性陣が、ホーチミン広場と自然発生的に名付けられた中庭に竈を作って飯を作ろうというアイディアを生み出した。中心となったのは、Nやこねこ、おおねこ、桃ちゃん、ミウラ、ケメたち・・・それを応援するような形で生活研も関わっていく。

 竈のレンガは、建材屋から配達してもらい、地ならしをして竈作り。蓋は、第一号はどうやって作ったのか覚えていないが、芸術学科からグラインダーを借りて来て、鉄筋を切り補強してコンクリートで作ったと思う。  

 バイタリティにあふれる女性陣は、カッパ橋まで、大鍋を買いに行き、よくこんな鍋を電車で運んだなあ、と驚いたものだ。大鍋、ツボ鍋という種類だったと思う、の蓋は、大きな声では言えないが、大学の長椅子をのこぎりで切断して作った。


 どこかに竈開きの写真があったと思うがみつからない・・・  最初の竈がこれ。
kamado2.JPG
 左にいるのがこねこ、右が私・・・
 後ろの配管に引っ掛けてあるのがイスで作った鍋の蓋。

 作るのはいつも少人数。食べる時は50人くらい集まったかな。
 撤去粉砕、とあるのは、この中庭の下がボイラー室になっていて、防水工事が必要だから撤去すると大学から通告されていたから。

 実際、この後、竈は粉々に壊されて防水工事が始まった。

 工事終了後、早速竈再建を果たす。
 今度は設計図を書き、レンガの数を正確に計算し、当時乗っていたホンダのシビックの後部座席満載のレンガを購入してきた。初代の竈には無かった煙突も、大ゴミで拾った風呂の煙突を利用できるようにこちらも新しくした蓋の部分に丸い穴を用意した。
 ただ計算違いがあった・・・最初のレンガより、後から購入したレンガは、少し大きかった。だから2代目の竈は、1代目より一回り大きなものになった。


 竈では、週一回のペースでお昼を作った。ご飯、みそ汁、カレー、炒め物・・・生活研のメンバー、今は亡きAの実家から送ってきた松茸で松茸ご飯なんてのもあった。

 時には、芸術学科の講師だったのかなあ、在日アフガニスタン人の指導で、アフガニスタン料理に挑戦したこともあった。カバブーは、どこからか拾ってきたのか、はがして来たのかU字溝を利用して焼いた。愉しかったなあ。


 貧乏学生ばかりだったから、お米はいつも犬飯と呼ばれていた徳用上米ばかりだったが、薪火で炊くと、ものすごくおいしかった。中にはうるさい奴がいて、自分では手を出さないくせに、松の薪で炊く飯が一番おいしいんですよ・・なんて、ついつい横やりを入れたくなるほど、楽しいイベントだった。

 その薪だが、大概は、放置されたタテカンの垂木。ベニヤ4枚を貼り付けたタテカンを壊して垂木を燃料にしたのだか、結構な量の材木が取れたものだ。


 竈の約束。
 カンパを支払うこと。
 食器は自分で洗うこと。
 食器洗いには合成洗剤ではなく石けんを使うこと。


 作るのは、竈の会、そして生活研、そしてフォー連の連中。食べるのは、不特定多数。
kamado04.JPG
 左 タルさん。右 ター坊。ター坊得意の大根カレーを作っている様子だと思う。

kamado5.JPG
 生活研部室内での下ごしらえの様子。  左 こねこ 中央 おおねこ 右 桃ちゃん

kamado01.bmp
 就職の面接後、竈に直行。
 左 亡き妻 コネコ 19歳、かわいかったなあ。お腹には馨がいた。右 私ことCAN  この時以来、竈には行っていないと思う。

kamado02.JPG
 竈の前で記念撮影。
 左 キャッチャー 赤ん坊 馨 中央 和光インテリア 岩本 右 おおねこ。撮影は こねこだと思う。

 kamado6.JPG

 これは何度目かのアフガニスタン料理の夕べのスナップのはず。26年前の写真だろう。
 左 桃ちゃん 中央 おおねこ 左 こねこ と馨。



 こんなことが、今のチャンプールのルーツにある。

関連記事。相模経済新聞 http://www.sokeinp.com/2008/0915/

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